Oh! マザー!! 前編
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Oh! マザー!! 前編 人口1200万の巨大都市・カルカッタ。 灼熱、喧騒、混沌、貧困、これらの言葉が最もふさわしい、インドの中でも最もインドらしい大都市である。 カルカッタで大丈夫なら他のどの都市に行っても恐れることはない、そう言われるほど猥雑でショッキングな街でもある。 どこの都市よりも人の活気にあふれ、牛があふれ、車があふれ、貧困があふれ、欲望があふれ、暑さに渇き、飢えに渇いている。 そんな環境でも強く生きていこうとする人間たちのダイナミックなパワーがうねりとなり、思想が生まれ、神が生まれ、信仰が生まれる。 そんな街だからこそ世紀の大詩人が生まれ、後世に語り継がれる聖人が生まれる。
前者がタゴールで、後者がマザー・テレサである。
マザーは、カルカッタのマザーハウスという所に住んでいる。 その決して広いとは言えない敷地内には「神の愛の宣教者会」の教会、事務所、それに修道女たちが住む建物がある。 他にも宣教者会が運営しているものがあるが、それらはそれぞれ、あちこちの場所を借りて運営されている。 「死を待つ人の家」や、孤児院、ハンセン病患者の病棟・作業棟などがそれである。
そのマザーハウスのミサに参加させてもらおうと、一人朝早く起きてホテルを出た。 予想以上に遠かったが、そんなに迷うこともなく、壁に囲まれたそのマザーハウスを見つけた。 ドアの横には「IN」と表示されている。 これは、「今日はマザーがいますよ」という意味である。 いない時は、「OUT」と表示されている。
世界中を飛び回り、一年のうち半分はいないはずのマザーが今日は居る・・・。 運がいいようである。 少し緊張しながらブザーを鳴らす。
・・・しばらく待つ。 するとドアがカチャッと開いて、中からシスターが出てきた。
向こうが何か言う前に、こっちから話し始めた。 「ぜひミサに参加させてほしいんですが・・。」 すると、「朝はもう終わったからまた夕方に来て下さい。」と言われた。 あえなく退散。
一旦ホテルに帰ろうとして歩いていると、正面からなぜかKSが来た。 「あれ、来たんかいな?」と聞くと、「うん、俺は案外ミーハーやからな」とKS。 とりあえず場所は分かった、また夕方に行こうと誘い、二人して朝食をとることにした。
夕方か・・・。 果たしてマザーに会えるのだろうか・・・。
その前年、マザーは健康状態が思わしくなく、入退院を繰り返していた。 一時は病院で心停止したとまで言われている。 それでも復活して、またマザーハウスに帰ってくるのを、しかもタンカに乗せられたまま帰ってくるのを、ニュースで見ていた。 マザーのことに興味を持ち、本で読み、映像やニュースでいろいろ見聞きしていた自分はその時、なんとかマザーに会えないものだろうか、会ってみたいと思っており、来年あたりが自分の事情もかんがみて最後のチャンスか? などと思っていた。 今回のインド旅行、どうしてもマザーハウスには寄っておきたかったのである。
マザーは何年も前から後継者、つまり「神の愛の宣教者会」の次の代表者を決めたがっていた。 ところが修道女の間で何度投票をやっても、「やはりマザーが代表でなければならない」という結論に達し、決められないでいた。 それがちょうど、我々二人がネパールのポカラを旅している時、ある新聞記事の見出しが目に飛び込んできたのである。
「神の愛の宣教者会、次の代表者決まる」。
・・・突然にしてやっと決まったようである。 おそらくマザーにとって最後にやり残した事、だったのかもしれない。 「早く行かないと会えないのでは・・」、そんな思いが頭をよぎったりした。 残り少ない旅行日数、なんとかカルカッタに行き、運良く会える事を願っていたのである。
夕方までにはまだ時間がある。 朝食を済ませ、我々は博物館に行ってみることにした。
着くと、入り口のチケット売り場にたくさんの人がいる。 インド人がおとなしく並んで買うはずもない。 我先にと割り込んできて、窓口へと突進していく。 負けてはいられない。 図々しくなくては博物館に入る事も出来ないのである。 インド人を脇に押しやり、かきわけかきわけ、なんとかチケットをゲット、博物館の中に入った。
中に入ると色んな仏像、石像、インド悠久の歴史を感じさせるものばかりである。 時代時代によって様式が違い、角張ったイメージのものから丸みを帯びたものまで、見ていて飽きない。 展示物も多く、一気に見て回るのはかなり疲れる。 途中、庭にあるベンチで休んだりしていた。
もう旅も終わりである。 明日、バンコクへ向かう飛行機に乗る。 今日マザーに会えなければ、もう会えないだろう・・・。 旅が終わるという感慨深さと、これからマザーに会えるのかどうかという不安と期待で落ち着かなかった・・・。
次回、カルカッタ編Part.3に続く・・・。
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