Oh! マザー!! 後編
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Oh! マザー!! 後編 夕方になる前、今度はKSと二人してマザーハウスへと向かった。
緊張が高まる中到着すると、朝閉まっていたドアが開いている。 中を見ると庭のようなところでシスターたちが、おそらく一般人と思われる人たちと話をしている。 普通にベンチに座って本を読んでいる人もいる。 地域の憩いの場になっているようである。
もう一度ドア横のサインを確認する。 「IN」。 この夕方もマザーは中にいるようである。
それは確認できたのだが、中に入ってはみたもののどうしていいか分からず、まごまごしていた。 すると、本を読んでいるインド人のおじさんに話しかけられた。 「ミサに参加したいんですが・・」と言うと、「そこにいるシスターに聞いてみるといい。きっと参加させてもらえて、マザーにも会えるよ。」と返ってきた。
「ほ、ほんとっすか?」 「ああ。私も何度か会ってる。」 おぉ〜!!
早くも念願叶いそうな勢いである。 近くにいたシスターに聞いてみた。 すると、「2階に行きなさい。マザーが出てきますから。」と言って、早々と上へ案内してくれたのである。
どうやら2階に事務所とミサを行うスペースがあるらしい。 こんな簡単に入れるとは・・・。 拍子抜けするぐらいあっけなく入れた。
2階に上がると渡り廊下があり、すでに何人かいてマザーが出てくるのを待っている様子である。 後からも何人か上がってきた。 どうやら周りはインド人ばかりのようである。
この廊下の先の部屋に、マザーがいるらしい。 ひどく長い時間待たされた気がしたが、おそらく時間にして20分ぐらいだったのではないだろうか。 中で仕事をしているマザーを待っていると、シスターが廊下との段差をなくすために板を持ってきて置いた。 中から、車椅子に乗った人が出てきた。 それが、マザーテレサであった。
映像や写真で何度も見た、白地に青いラインの入ったサリーにサンダル姿である。 車椅子を押されながら、一人一人にあいさつをし、話しかけていくマザーテレサ。 我々はいつの間にか後ろのインド人たちに抜かれ、列の最後尾になっていた。
いよいよ我々の番になった。 マザーの足を、手で触っておじぎする。 これが敬意を表すあいさつなのである。 「マザーに会いに、日本から来ました。」と言うと、「私も日本には何度も行ったことがありますよ。」と話してくれた。
もうかなり年をとり、お世辞にも生気に溢れた顔とは言えなかったが、しかし逆にその気さくさと普通さに驚きを覚えた。 この人が、貧しい者の中でも最も貧しい者に神を見出し、ストリートチルドレンに教育を施すため、また道端でのたれ死にしそうになっている人に最後の愛を注ぐため、所属していた教会をたった一人で出て、独自の活動を続けてきた、マザーテレサである。 そのために幾日も幾日も歩き回った足は、ひん曲がっている。 その重みがオーラとなって発散されているのを、感じずにはいられなかった。
たくさんのシスターたちとともに、我々もミサの部屋へと入っていく。 一番後ろに座り、その中に浸らせて頂くことにした。 ほんの3mほど横には、マザーテレサがいる。 その空気を肌で存分に感じていた。
聖書の朗読やお祈り。 外の喧騒がウソのような静寂。 いや、正確には窓も開けてあり、外を走る車やバイクの音が聞こえているのだが、全くそれとは関係なく、静寂な雰囲気に満たされた別世界である。
ふと横を見る。 マザーが祈りを捧げている。 何十年にも渡り、毎日毎日、何度も何度も捧げたであろうそのお祈りを、今日ここで、また新たに捧げる。 昨日や今朝と同じ祈りであり、また違う祈りである。
インドにいると、何やら大きなものの存在を近くに感じることがある。 自分だけではないと思うのだが、ここにいると五感が鋭く開け、意識が広がり、感受性が強まり、チャレンジ精神が旺盛になる。 清濁が混沌としているこの世界では、自然とそうなるのかもしれない。 鈍くなるのは汚れに対しての感覚と、まずい食事にあたった時の苦痛ぐらいである。
このマザーハウスでも、普段感じたことのないような敬虔な気持ちと安らぎ、そしてある種の強い意思と規律を、ビリビリと感じずにはいられなかった。 確かにここにも、神はいるのである。
ミサが終わり、もう一度マザーやシスターたちに礼を言いマザーハウスを後にした。 帰る道すがら、いつもなら物売りやリキシャのおっさんにひっきりなしに声をかけられるはずが、この時ばかりはなぜか誰にも声をかけられなかった。 なぜか力がみなぎっている感じがした・・・。
次回、インド旅行記最終回へと続く・・・。
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