30半ばだからこそ・・・
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30半ばだからこそ・・・ 去年の夏、とうとうやってしまった。 何度も何度も聞いたことはある、しかし本当の意味では分かっていなかったあの現象。 正直、私はそれを甘く見ていたのだ。 小学生の時に「坐骨神経痛」と診断され、それ以来ずっと腰痛と闘っている私だからこそ、早くに襲われるであろうあの現象を・・・。
そうです、やってしまいました、ギックリ腰。 どうしようもないぐらいの大ギックリ腰。
今まで軽〜い現象は何度かあったのである。つまり、何か地面にあるものを拾おうとして、あるいは洗面所でうがいをしようとかがんだ時に、ほんのちょっぴりクキッときたことは。 でもほんの数秒動けないだけで、しばらくすると動けた。これがギックリ腰だと思っていた。腰の痛みには慣れているので、一般の人はこれぐらいで痛くて動けなくなるのだろう、それを人は大げさにギックリ腰と呼ぶのだ、そう思っていた。
しかしその日はやってきた。 軽いクッキリ腰が二日前にあった。これが予兆だったのだ。 それは何か重いものを持ち上げた時になるもんだとばかり思っていた。 しかし私の場合はとっても不可解な時に起きた。 外のとある場所でイスに座っている間に、それはやってきたのである。じっとしている時に突如起こったのである。 突然、腰のあたりにピキピキと痛みが走った。「・・・なんじゃこりゃ・・・」と思っているのもつかの間、座っているのもつらくなってきた。おそらくこの間3秒ぐらいである。 「はう?! これは一体・・・??!」 冷や汗が出てきた。2度と立てないのではという恐怖が襲ってきた。 いやいや、腰の痛みには慣れている。どんなに痛い日でもなんとなくごまかすことはできるはずだ。 しかしごまかしてみようと体を動かそうとすると、「動かすな!」と腰が悲鳴を上げる。 初めてだ! 自分の体をコントロールできない!! さぁどうしよう? 一体どうすればいいのだ?!
ここで、もう1つ問題があることに気づいた。 私は今この瞬間、・・・トイレに行きたい。 かなり前から我慢していた。今すぐ行きたい。今すぐ会いにいきます。 まさかこのタイミングで腰をやっちまうとは・・・。 立ち上がらねばならない。このまま漏らしては泣きっ面に蜂、一生立ち直れないかもしれない。どう説明するのだ。ギックリ腰とお漏らしの因果関係を。 どうしても立ち上がらねばなるまい!! しかし動けるのか! 果たして立ちあがれるのか俺の腰!!
そろ〜っと立ち上がるしかない。いやしかし、あまりにもオッサン風に立ち上がると周りの人にギックリ腰がバレてしまう。いや、もしくは「この人、痔かしら?」と思われてしまう。イヤだ、私はギックリ腰でも痔でもない! そうアピールすることに決めたのである! そのためにはそろ〜っと、しかし出来る限り自然な立ち上がり方が求められるだろう。 このまましばらく座って様子を見るか? いや、迫り来る危機にはもう耐えられない。トイレへと誘うあの危機が。 仕方がない、ここは立つんだ。立つんだ原田。 決心を固め、いざ立ち上がった! なるべくそろ〜っと、しかしできるだけ迅速に! おぉ〜! 立てたぞ〜! はぁはぁと息が上がる。立っただけでこの心拍数。 しかしその瞬間、次の難関に直面した。 果たして方向を転換しながら足を前に出して歩けるのだろうか? 立ったまましばらく考えていた。歩き出す手順とルートについて。 普段はいとも簡単にやっていることが、今や作戦を練って実行しなければならない。 おっと、さっきからじっと立っているだけだ。これでは不自然だ! 早く一歩踏み出さねば! 大丈夫だ、まだ周りの人は気づいていない。 しかし、・・・腰がチョッピリ前に曲がったままだ! あぁ伸びない!! このまま歩くとネアンデルタール人みたいになってしまう!! どうしよう、人間のように歩けるだろうか。早く人間になりたい。 そろ〜っと片足を出してみた。おぉ、ちゃんと足が前へ出るぞ! そしてもう一方。 おぉ! ちゃんと交互に出して人間のように歩けるぞ!
なんとかクロマニヨン人にまで進化して用を済ますことができた。 家へ帰ろう。自転車に乗って家へ帰るのだ。え? 自転車? 果たして乗れるんやろかぁ? 足が上がるんやろかぁ~?! なんとか自転車置き場まで歩き、出来る限り精一杯の自然な動きでまたがった。 どうにかこうにか乗って帰った。
かくして家へと帰り、この日から3日間、ご飯とトイレ以外は寝たきり生活となった。 あれから徐々に良くなり、今はとりあえずは順調である。 しかし公演ができるほどにはまだ復活していないが・・・。
とうとう私もギックリ腰になってしまった。ギックリ腰の真の痛みを知ってしまった。 もうイヤだ、あんなに辛いのは・・・。 30半ばにしてまた1つ、人生のほろ苦さを知ってしまったのである。
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