ウズベキスタン、再び?!
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ウズベキスタン、再び?! ウズベキスタン旅行から帰ってきて1年半。 まさか、早くもこんなことになってしまうとは。。
またもやウズベキスタンに行く計画を立ててしまったのである。 早くも2度目のウズベキスタンなのである!
タシケントは玄関口だし、スケジュールの都合上サマルカンドにもまた寄ってしまったが、前回には行かなかった2つの町を新たに訪ねた。 この2つの町についてご報告いたします!
その1つ目の町は、ヌラタです! そう、ご存知!(なわけない!) 砂漠であります! なんと、砂漠にひょっこり建つユルタ(遊牧民のテントのような家)に泊まったのであります!
今回の旅は4月下旬から5月上旬。 もう東京では桜もとっくに散り果て、グングンと気温が上がっていく頃。 しかし、地方にもよるがどうやらこの時期のウズベキスタンの最低気温は東京より低く、最高気温は東京より高い。 どんな服を持っていけばいいかよく分からない。さすがにモコモコのダウンは必要ないはず(嵩張って大変)、というわけで半そでから秋モノのジャケットまで、真冬以外のあらゆる季節の服を用意してみた。 いつもより荷物が多くなってしまったがやむを得ない。
今回のスケジュールは、タシケントに1泊した後、もう砂漠に行く。 ええ。そこはもう灼熱ですよ。 なんとも水不足ですよ。意識朦朧でボワっと蜃気楼ですよ。
はい、ご存知の方はもうお分かりですね。この考え、半分はあたっているが、半分は大ハズレなのです。昼間は灼熱だが夜は死ぬほど寒い。いろんな服を持っていったものの、寒さへの備えは全くなかった。 そのことに気づくのは、なんと砂漠の夜を迎えたときであった。。。
ヌラタへは通常、サマルカンドあたりを観光してから、そこで車をチャーターして行くらしい。それでも5時間くらいかかる。 ところが自分たちは、タシケントからナボイ空港という、周りに観光地など何もないところに飛び、そこでツアー会社の車に迎えに来てもらって3時間のドライブで砂漠に向かうことにした。どうもこれが最短ルートのようだ。
しかしこのナボイ空港、日本ではなかなか情報が手に入らない。ちゃんと目的の日に飛行機が飛ぶのかどうかもよく分からない。軍事用の空港だとかいう情報もある。 空港があることは確かなのだが、英語日本語でかたっぱしから検索しても情報がなかなか得られず、ウズベキスタンの現地ツアー会社と確認しながらようやくチケットをゲット。このツアー会社に、ナボイ空港まで迎えに来てもらうことにしたのである。
朝早くにタシケント空港を出てナボイ空港まで飛ぶ。1時間程度のフライトだ。 宿泊するユルタまで車で向かう途中、モスクを訪れた。そこには地元の人たちやウズベク人の観光客もいて賑わっている。しかしそこを離れると、あとはひたすら荒涼とした大地である。
運転手はただもくもくと運転している。しかしこの荒涼とした大地に突然、アレキサンダー大王の時代の遺跡が現れたりする。それらの遺跡はあのチンギス・ハーンが攻めてきたときに壊されたものらしく、今もそのままの状態になっているという。 チンギス・ハーンって。アレキサンダー大王って。ほんまにいたんや。
ふとドライバーが車を止める。「あの辺の岩場を登ると、何千年も前の壁画が岩に書いてあるよ」などと言う。 はい? 何千年前かの壁画? こんなところに? 荒涼とした大地に、国道が1本通っているだけ。そこで降ろされ岩場を登ってみると、おぉ、たしかに絵が描いてあるではないか! 動物の絵だ。まさに原始時代というか石器時代というか、日本でいうところの縄文人が描いたような、石に刻み込むような動物画である!
かなり貴重だと思われるが、周りを見てもどうも誰かが管理している様子もない。 こうやって観光客が触ろうと思えば触れるし、場合によっては絵の部分だけ砕いて持って帰ることもできそうだ。 あまりにも無防備すぎる。価値がないという認識なのだろうか?
そんなこんなでまた車に乗り、ひたすら走る。道が未舗装の砂道になってきた。
ようやく着いたところは、ユルタが12、3個立ててあるだけの小さな宿泊エリアだった。 ヨーロッパから来た中年夫婦が昨晩泊まっており、もう出て行くという。 今日このエリアに泊まるのは私たち夫婦と、あと1組、なぜか男2人女1人のフランス人グループだけらしい。
ユルタ内には水の出るところはなく、外にトイレがいくつか並んだ建物と、シャワールームがいくつか並んだ建物がある。中を見るとなかなかキレイだ。
遅めの昼食をとる。一応食堂があり、ウズベク料理を出してくれる。これがなかなかおいしい。
昨日の夜中にタシケントについて、今日は早朝から飛行機に車。さすがに疲れた私たちは、昼食後にユルタでちょっと寝ることにした。
ふとんにくるまって、あっという間に眠りに落ちた。。。
次回、「砂漠って寒いのね」に続く。。
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