ドリフターズについて
(01年6月初出、21年11月リバイバル掲載)


突然だが、自分は今、自転車で志村けんの家へ向かっている。
自分の家から自転車で行けるくらいの距離にある。
別に用事があるわけではない。もちろん知り合いでもない。

だが、東京で知り合ったT君に書いてもらった地図を頼りに、自分は今、志村けんの家へ向かっている。とりあえず向かっている。

T君は昔から地元に住んでいて、この辺りのどこに有名人が住んでいるかよく知っている。彼によると、彼の自宅の数件ほど隣には石橋凌・原田美枝子夫妻が住んでいて、毎朝、原田美枝子が子供を幼稚園に連れていくのを目撃するという。

またある時は、同じく地元に住んでいるという輪島功一に話しかけ、「勉強なんてできなくていい。何か一番になれるものがあればそれでいい!」というアドバイスを受けたり、若林豪の息子さんと知り合いで、芝居を見に行ったりしている。

かなり有名人と縁のある男である。

そのT君と話している時、志村けんの話になった。聞くと、自宅を知っているという。すかさず「教えて」と頼み、今日の次第になったのである。

というわけで、とりあえず志村けんの家に向かっている。
家が見てみたいという、単なる好奇心である。


話は変わるが、最近出版されたいかりや長介著の「だめだこりゃ」を読んだ。
自分は全くのドリフ派で、「オレたちひょうきん族」が始まってからもずっと、1985年の最終回まで「8時だよ全員集合!」を見ていた。生粋のドリフっ子である。

その「だめだこりゃ」、一気に読んでしまった。
とにかくドリフに関してはよく覚えていた。
停電事件やコント中に火事事件、3人ドリフでの加藤茶の大活躍など、知っている自分が嬉しくて仕方なかった。

なんといっても自分は小学生の時、ドリフの公演を生で見たのである。
地方公演だったのだが、この話を自分より若い、ドリフを伝説としてしか知らない人にするとかなり羨ましがられる。

あれは確か小学校4年生ぐらいだったか・・・


どうやってチケットを手に入れたのか覚えていない。おそらく間違いなく親がドリフが来るのを知って取ってくれたのだろう。

公演当日、少し早めに京都会館に着いてしまった我々は、近くのレストランで食事をとることになった。

いっぱいだった。何か頼んだのだがなかなか来なかったのを覚えている。
開演に間に合わないんじゃないかとアセっていたのだが、ウェイトレスも忙しそうでなかなかつかまらない。

やっとの思いで聞いてみたところ、どうやら注文が通ってなかったようであった。

そうこうしているうちに父親が、「ドリフにサンドイッチを差し入れしよう」てな提案をした。

「ってことは、ひょっとしたらドリフに会えるの?!」と意気込んだ上田雄士(10歳)は、ワクワクしながら持ちかえり用に包んでもらうサンドイッチが来るのを待っていた。
(もしかすると、来なかったのは料理じゃなくてこのサンドイッチだったような気もする)。

そしてレストランを出て、京都会館の楽屋口へと向かったのである。

ところが、当たり前だが楽屋口には警備員がいて、中には入らせてもらえない。直接渡したかったものの、知り合いでもなんでもないただの上田家の人間が入れるわけもなく、仕方なく警備員に渡したのを覚えている。

あのサンドイッチはちゃんとドリフに届けられたのだろうか。
まぁもちろん「上田様より」なんていうメモがつけられていても、「誰?」ってことになってはいただろうが・・・


その後、京都会館第1ホールに入り、いよいよ開演時間が迫ってきた。
会場内は興奮でざわざわしている。自分も期待でドキドキしていた。

すると、なぜかアナウンサー風の男が出てきて、何か説明をした。おそらく前説だったと思う。そこで彼はなんと、つかみとしてドリフターズ全員の本名を教えてくれたのである。この時初めて、いかりや長介が「碇矢長一」であること、志村けんが「志村康徳」であることを知った。なかなかイカす前説であった。

そしていよいよ始まり!
幕が上がった!
と突然、黒スーツを着た男が、とっても軽いステップで登場した。

あまりにも軽いステップだったので一瞬志村けんかと思ったが、それがいかりや長介だった。

そしてまずはメンバー紹介。
一人ずつ出てきてあいさつをする。
全員終わったところでいかりやが何か言おうとすると、志村が口をはさむ。何かやらかしたり、いかりやにいたずらしたり。その度に「このやろ〜!」と追いかけあいになる。会場は大爆笑である。

そしてお待ちかねのメインのコントに移った。
おなじみの「剣道コント」だった。
あの、一列になって「突いて、突いて、押して、押して、払って、払って、最後は切る!」などと歌いながら素振りするやつである。

いかりやが見てるとみんな真面目にやるのだが、見ていないとサボるという、典型的なやつである。

これがおもしろかった。
いつもテレビでしか見たことのないドリフが、今自分の目の前にいてコントをやっているのである。不思議だった。

そのコントの途中でよく覚えているのが、いかりやが客席に向かって「みんな外へ出ろ!」と言うのである。

「え? ほんまに出るの?」とドキドキしていたら、後ろのセットがパタッと変わって外の景色になるのである。
「な、なるほど!」と思って見ると、なぜか一部だけまだ室内の絵のまんまだ。
すかさず加ト茶と仲本が「ここだけ中ですけどぉ!」とツッコミを入れる。「どういうことですかぁ?」

するといかりやが、「気にするな! そんな事を気にしているようでは真の剣道家にはなれない!」などとごまかしている。またまた会場大爆笑である。

そんなこんなで楽しい時間を過ごした。今では楽しい思い出である。


・・・そんなことを回想しているうちに、どうやら志村けんの自宅に近づいてきたようだ。

目印にしていたゴルフの打ちっぱなしがある。そこを左に入る。
気がつくと、自分の顔がニヤけている。大の男がニヤけながら志村けんの家を見ようと、自転車をこいでいる。しかも一人で。

かなり気持ち悪い光景である。

「ひょっとして志村けんが偶然出て来たりして」
「あ! それやったら『変なおじさんリターンズ』の本持ってきたら良かった!そこにサインしてもらえば・・・」
「あ、いやいやサインペンもない。どうしよ? どうしょっか?」
などと一人で思いながら自転車をこいでいた。

けっこうおまぬけバカやろうである。

 
そしてテニスコートを曲がるとそこに・・・。
どぁ! あった! 
表札「志村」。
でか! あれ、改築してる。 窓とか見えへん。
家はでかいけど、周りが狭い。
ここにいたら確実に志村けんの家を見に来たお調子者に見えてしまう!(その通りやけど!)

すると恐れていた通り、玄関のドアが開いて中から志村けんが!
・・・出てくるわけはなかった。

これ以上ここにいると、自分が「変なおじさん」に見られてしまうので、ちょっぴりあっけない結末だが帰ることにした。
「またひまがあったら来てみっか」などと思いながら・・・

さ、歌でも歌いながら帰りますか。

ひがっしむらや〜ま〜♪ にわさ〜きゃ、たま〜こ〜♪
いっちょめいっちょめ、わ〜お! いっちょめいっちょめ、わ〜お!
いっちょめ、子供が見てるぞ・・・
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