15. 旅はまだ続く


というわけで、今回も無事に帰国できた。
軍事政権とはいえ危険な目にも遭わず、非常に充実した旅行ができた。

帰国してからいろいろミャンマー関係の情報を探していると、帰国した次の週に池袋でミャンマーの劇団の公演があるという情報を見つけた。せっかくだから行ってみることにした。

会場に着いてみると、入口のところに何やら張り紙がしてある。なんとこの公演、延期になってしまったらしい。

ミャンマー人らしきスタッフの人がいたので聞いてみると、どうやら空港を出発するまでにビザが降りず、今回は来日できなかったということらしい。

実はこの劇団、ミャンマーでも有名なコメディアンがアドリブでしゃべるという内容が売りで、風刺や下ネタがバンバン飛び出すという。もちろん政治風刺も含まれているため、軍事政権にマークされているらしく、国外への渡航を止められることがよくあるという。

結局、どういう理由かは分からないが、この一カ月後に無事来日して中野で公演を行うということになった。

見に行ってみると、どうも客席は日本に住むミャンマー人ばかり。最初から最後までミャンマー語で進められるのだから、行く前からだいたいそうなるだろうと予想はしていたのだが、間に舞踊も入るし、客席が大笑いしているさまはなかなかおもしろかった。

そして何より驚いたのが、舞台上の人が歌っているときや袖に去ろうとするとき、あるいはなんとなく頃合いを見計らって、客席にいる観客が舞台上に上がり、役者にお金を渡したり、プレゼントを渡したりすることだ。
どうやら日本で言う「おひねり」のようなものらしい。

この東京にも、多くのミャンマー人が暮らしているということが良く分かった。確かに新大久保から高田馬場あたりには、ミャンマー料理の店があったりする。特に見た目が日本人と変わらない人もいるため、パッと見では分からない人も多いのだ。

その後、テッチョーさんに約束した通り、良さそうな日本語の教科書を見つくろって送ってあげた。ついでに日本の映画のDVDも一緒に入れておいた。
それが向こうに届くか届かないかのうちに、日食を見たあのマンダレーヒルで会ったミャンマー人学生のTちゃんが、留学のために来日した。日本への留学費用をすべて払ってくれる親なのだから、リッチな家庭に間違いないのだが、彼女は友達と一緒に3人で狭い部屋に住み、アルバイトを2つ掛け持ちしながら勉強している。
すべてを親が援助して甘やかせるということをしないところがすばらしい。もちろん彼女は苦労するだろうが…。

彼女が来日したのはちょうど桜が咲く頃だったので、一緒に井の頭公園に桜を見に行った。ミャンマーにも桜はあるらしいのだが、ほとんどミャンマー中部のシャン州というところに限られるらしい。人の多さと桜のきれいさに驚いていたようだ。日本の第一印象を聞いてみると、「発展している…」。東京人にとっては普通の街並みでも、彼女にとってはすべてが文明・文化の象徴に見えるようである。

その後、8か月もたってから、なんとテッチョーさんから日本に来ているという連絡をもらった。ミャンマーでは誰にでもビザが降りるわけではなく、それなりの理由がないと渡航はできない。聞いてみると、東京ビッグサイトで開かれる世界旅行博というイベントに、ミャンマー代表団として参加するということらしい。もちろんこれを機会に、アジアの先進国・日本を個人的にいろいろ見てこようという計画のようだった。

テッチョーさんだけでなく、新たにテッチョーさんのクラスから日本に留学に来た生徒さん、それにTちゃん、そして我がヨメさんの5人で会い、せっかくの機会だからと本屋に行って日本語のテキストを買いあさったり、新宿でお昼ご飯を食べたり、明治神宮に行ってみたり、原宿に来たのだからとついでに女子高生でごった返している竹下通りを歩いてみたりと、一日一緒に過ごした。

街をウロついているだけでも、テッチョーさんにとっては勉強になることが多いらしい。例えば、道路上やファミレスなどで喫煙できるエリアが決まっていること、駅では乗車位置でちゃんと並んで待つこと、東京のような大都会にも豊かな自然があること、などなど…。

東京だけでなく、関東近郊にも行ってみたようで、2度目の日本を満喫できたようである(前回は福井県の田舎のほうに、これまた仕事で来たそうである。何もない田舎だったので、今回はまったく別のところに来たようだったらしい。)

テッチョーさんの日本語教室は優秀な生徒さんが多いようで、これからも続々と留学予定の子がいる。中には奨学金をもらいながら東京大学に通うことになったという生徒までいるという。今回日本で買ったテキストを活用してさらに授業のレベルが高くなれば、もっとスゴいことになるかもしれない。

そして、ミャンマー旅行初日にヤンゴンで会ったNさんは日本人の男性と結婚し、今は兵庫県の田舎のほうに住んでいる。彼女が日本に来てからは一度も会ってはいないが、元気にやっているようである。

その後、軍事政権の経済開放政策などにより著しい発展を遂げているミャンマー。私たちが行った頃はまだスーチーさんも軟禁状態だったが、今や連邦議会の議員となっている。ミャンマーは今、ものすごい勢いで変わっているのである。

ただ行っただけで終わらなかった今回のミャンマー旅行は、自分にとって理想的な海外旅行だったのかもしれない。今後もどんな展開があるのか、楽しみである。

以上、ミャンマー旅行記「チェーズーティンパーデー」でした!
(「チェーズーティンパーデー」の意味は…、調べればすぐに分かりますよ!)