14. ヤンゴン


さぁ、最終日はミャンマー最大の都市、ヤンゴンだ。
もともとは首都だったため人口もこの国で一番多く、商業施設などもここに集中しているのだが、2003年に突如軍事政権が首都をネピドーに移すと宣言。そこはただジャングルが広がっているだけの場所だったのだが、軍事政権はなぜかこのあまりにも辺鄙な首都移転候補地の開発を進め、2006年に内外に正式な首都移転を発表した。よって現在、ヤンゴン(ラングーン)は首都ではなくなっているのである。

軍人たちの多くはそのネピドーに移っていったらしいが、このヤンゴンにも軍人の居住エリアがある。他とは違う裕福なたたずまい。このヤンゴンを案内してくれる、初日に会ったサインさんの情報によると、ヤンゴン市内でもしょっちゅう停電は発生するが、この軍人居住エリアだけは発生しないのだという。停電がないよう優先的に電気が送られているのだ。そして、このあたりの写真を撮ることは厳禁である。

まずは市場へと連れて行ってもらった。

バガンで訪れた市場は青空市場だったが、ここの市場は建物の中だ。と言っても壁はなく、吹きっさらしの3階建ての殺風景な建物。そこに、物を売る人買う人があふれかえっている。女の人はほぼ全員、そして男の人もほとんどがいわゆるミャンマーの民族衣装、ロンジーをはいている(これはここだけに限らず、バガンでもマンダレーでも、町中でも町はずれでも同じである)。外国人が珍しいのか、ときどき我々を興味深そうにジロジロ見たり、何やら声をかけてきたり、手を振ってくる人もいる。

サインさんの知識は豊富で、我々が見たこともないような南国フルーツを手にとっては説明してくれる。日本語の能力も高く、プライベートで日本語を教えてもいるらしい。

その後、中華街を訪れた。やはりこの国にもチャイナタウンが存在するのである。

チャイナタウンのあたりは、この国でもひときわ雑然とした感じだ。
小さな中華料理の店が並び、歩道には屋台が並んでいる。中には違法コピーと思われるCDやDVDを売っている店もある(これはチャイナタウンに限ったことではないが)。
そしてふと道路を見ると、交通量の多い交差点の信号機が消灯している。
するとサインさん、「しょっちゅう停電しています」。
あらら…。
どうにかこうにか交通は流れてはいるようだが、よく事故が起こらないものである。停電があるかもしれないといつも心づもりしているからだろうか?

昼食は、若者が集うちょっぴりおしゃれなお店でとった。

そこで我がヨメさん、昨日の夜、テレビで見たドラマの話をサインさんにし始めた。どうもその主演女優が可愛らしかったらしく、そのことについて聞いてみたかっただけのようだったが、その話にサインさんが食いついてきた。

「あのドラマやってたんですか? どんな話でしたか?」

もちろんミャンマー語で放映されており、字幕もないのだから詳しくは分からないのだが、しかしだいたい映像を見ているだけで大筋は分かるのである。
そこで我がヨメさんが、あの主人公がこうなって、実はあの男の人がこうで…、などと一通り話し終えると、「へ〜、そういう結末だったんですか…」と納得の様子のサインさん。

実はこのドラマ、ミャンマーでも大人気の連続ドラマだったそうで、昨日やっていたのはその再放送の、しかも最終回だったようである。前回の放送時にはサインさんも毎回楽しみに見ていたのだが、なんと最終回の一番いいところで停電が発生し、見られなかったそうである。その重要な場面をヨメさんが昨日偶然見たのである(ちなみに私はシャワーに入っていて見られなかった…)。

ミャンマー語が一切分からない日本人観光客から結末を教えてもらうミャンマー人のサインさん。何やらストーリーをかみしめている。
なんとも不思議な光景だ。

その後、ヤンゴンの中心に坐している、シュエタゴン・パゴダ寺院を訪れた。
大きな寺院だ。今日は土曜日。土曜日生まれの人たちが自主的に境内を掃除していたり、声をそろえてお経を読んでいる団体がいたりする。どの人もお坊さんというわけではなく、普通の一般人だ。女の人や若い人も多い。

実はサインさんも、何度か瞑想センターなるところに数週間通い、修行に励んだ経験を持っている。
仏教と言えばやはり輪廻の思想が根本にあるわけで、とすると生まれ変わりを信じることになるわけだから、そのへんどうなの? とサインさんに聞いてみると、サインさん曰く、生まれ変わりはあるんでしょう、でもそれは考える必要はありません。今をどう生きるかが大切で、死んだ後のことを考える必要はありません、それを考えようとするといろんな弊害が生じるんです。変な教えと言うか、脅しというか、いろんな問題が…、ということだった。

なるほど。至極まっとうな答えだ。来世や快適なあの世があると思わせることで、いろんな悪徳商法が生まれたり、それこそジハードだなんだと言って、死を恐れることなく自爆テロなんかもできてしまうようになるのかもしれない。

サインさんによると、彼が修行した瞑想センターには日本人も来ていたそうである。もう定年を迎えた後の人なんかが参加しているらしいが、仕事ばっかりしてきた人が多く、人生のことについては何も考えたことがない人が多いらしい。
そんな人生のベテランのはずの人たちに向かって、サインさんは「何を考えて生きてきたんですか? そんなことも分からないんですか?」なんつって説教を垂れたこともあるそうである。団塊世代の皆さま、これからの人生もがんばってくださいよ!

さて、いよいよそんなヤンゴンから発たなくてはならない時間が迫ってきた。車で空港へと向かった。

途中、道が混みだしてきてかなり遅れてしまい、「ひょっとすると飛行機に間に合わないんじゃないの!?」とサインさんもあせっていたが、空港についてみると私たちが搭乗手続きをおこなうフライトのカウンターは行列になっており、どう考えても時間通りに離陸できそうな雰囲気ではなかった。

結局長時間待たされ、私たちが手続きを終えたのはフライトの離陸予定時間を過ぎた後だった(もちろん飛行機はまだ飛んでいない)。しかもその原因は、カウンターで受付として働いている女の人(おばちゃん)の入力が遅すぎるという、ただそれだけのようだ。老眼鏡をかけたりはずしたり、分からないことがあると先輩職員らしき男性(この人のほうがだいぶ若い)を呼んで教えてもらったり。そして極めつけは、必殺の両人差し指2本だけでの入力…。

こういった国々では、時間通りに飛行機が飛ぶわけがないというのが常識のようになっているが、カウンターでの作業以外には特に問題がなさそうだったので簡単に解決できそうな気もする。もちろん、効率よくやることだけが美徳ではないのかもしれないが…。

予定よりも大幅に遅れて、私たちを乗せた飛行機はタイのバンコクへと向かって飛び立った。こういうこともあろうかと、バンコクでの乗り継ぎ時間を多めに取っておいた。最初にとろうと思っていた乗り継ぎ時間ギリギリのフライトだとやっぱり間に合わなかったのである。ツアーで行って間に合わなかった場合は旅行会社がなんとかしてくれるのだろうが、個人でとる場合はなんともならないことも多い。効率と余裕、この微妙な加減が難しい。

バンコクの空港は予想以上にデカく、乗り継ぎゲートまで延々と20分以上も歩き続けなくてはならなかったが、無事に乗り継ぎをすませた。真夜中にも関わらず、どこの免税店も開いている。20分間まったく途切れることなく、豪奢なお店が連なっていた。表参道よりもデカい街並みが空港内にあることになる。

朝、日の出とともに成田空港に着いた。

次回、「旅はまだ続く」に続く…。
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