ここへ来て?!


おいしくお昼ごはんを食べた後のことである。どうもお腹がゴロゴロする。

絶対にお腹をこわすといわれていたプロフを食べても大丈夫、何を食べても、何を飲んでもうまい。ところが最終日のタシケントを車で回っているうちに、どうもお腹の調子が下り坂になってきた。

デパートに寄って、お土産を物色している途中、トイレにかけこんだ。
やはり、、、ここへ来てお腹をこわしてしまった。ヨメさんもどうも調子が下り坂っぽい。

この後行った博物館ではヨメさんのほうが調子が悪くなり、展示品を見ることもなくずっとベンチに座っていた。

そして、、、この後、シベリア抑留のためこの地で命を落とした日本人の墓地を訪れているとき、ヨメさんの調子がすこぶる悪くなるのである。墓地というロケーションは特に関係ないと思うのだが、顔色が見たことないほど悪い。日も落ちて寒くなってきたし、カゼでもひいたかな、と思っていると、「ビ、ビニール袋・・・」。あわてて渡すと、路地のほうに隠れて戻してしまったようだ。

その様子を見ていたドライバーが何か言い始めた。ほんの数単語だけウズベク語を覚えていき、ちょこちょこドライバーに話しかけていたのだが、今度はそれらの単語を使ってドライバーが一生懸命話してくれる。どうやら「俺の家に来い」と言っているようだ。家にいる奥さんに電話をかけている。ここから近いらしい。

連れて行ってもらうことにした。車に乗り込むと、ほんの10分ほどで着いた。

小さな路地を入り、さらに歩いて奥へと行ったところに、ドライバーさんの家があった。中に入ると暖かい。キッチンでは奥さんが手料理を作ってくれていた。

ソファーへと座らせてもらったが、ヨメさんはすぐに「トイレ」とばかり、覚えていたウズベク語「ホジャトナ」(=トイレ)を連呼し、奥さんに連れて行ってもらった。

戻ってきた奥さんが、キッチンでひたすら料理を作ってくれている。しばらく待っていると、たくさんのあったかい手料理が出てきた。トイレから出てきたヨメさんは、せっかくだが食べることができないという。するとドライバーさんが自家製のフルーツジュースを出してくれた。

自分のほうはというと食欲だけはガッツリある。モリモリ食べていると、やはりウォッカを勧められた。
これは断りきれない。

とりあえずちょっとだけいただき、これまた見事に喉を焼いてしまったが、その様子を見てドライバーさんは笑っている。とっても楽しそうだ。

そのうち、近所に住んでいるという、ドライバーさんのお兄さんがやってきた。みんなで和気あいあいと食事を取る。こちらもつたなすぎるウズベク語で「メン チェキマンメン(たばこを吸いません)」などと言うと、ほう、タバコを吸わないんだな、なるほどなるほどと、みんなうなづいている。そしてウォッカを指差し「メン・・・」と言うと、全員が「イチマンメーン!」と大合唱で返してきた。「飲みません」という意味らしい。

すぐにお腹いっぱいになり、ソファーで休んでいると、何やら写真のアルバムを渡された。見ると、ドライバーさんの家族の写真がたくさん貼り付けられてある。家族で旅行にいった写真もある。そして、現在軍隊に入隊中の息子さんの写真もある。

家族の写真が出てくるたびに、「これがお母さん、これがお母さんのお父さん、これが弟の息子」などと教えてくれる。ドライバーさんにそっくりな男の人がよく写真に写っているのだが、そのたびになぜかみんな「ハサン、フサン」、「ハサン、フサン」と連呼する。ちなみにこのドライバーさんの名前は「ハサン」なので、「フサン」はもう1人の名前らしい。それ以外の兄弟はその人1人の名前を言うだけなのに、このドライバーさんと、そのそっくりな男の人の写真が出てくるたびにみんな「ハサン、フサン」「ハサン、フサン」と必ずペアで呼ぶ。

どうやら、、、ハサンとフサンは双子のようである。だから必ずペアで呼ぶようである。

このハサンさんは若い頃、軍隊にいたようだ。軍隊時代のアルバムが出てきた。まさに「ソ連」を思わすような宣伝文というかデザインというか、戦意を高揚させるような絵のようなものもちりばめられている。

アルバムをめくっていくと、なぜか兵隊さんのツーショット写真だらけのページがあった。どれも似たもの同士が写っている。するとハサンさんが「これはタジク人、こっちはカザフ人」などと説明してくれる。タジキスタンもカザフスタンも今は独立国だが、当時はみなソ連の一部だったわけで、みんなソ連兵だったわけである。そしてこれらのページは各民族の「双子」兵の写真が羅列してあるようである。

そして次のページをめくると、はい、みんなで「ハサン、フサン!」。
軍隊時代のアルバムにもまたもや「ハサンフサン」の登場である

そうこうしているうちに、午後8時になっていた。帰りの飛行機の時間がせまってきている。空港に向かわねばならない。日本から持ってきた京都の絵葉書をお礼に渡し、ハサンさんに空港まで送ってもらった。

空港でお別れ。晩ごはん用にと両替しておいたスムが余ってしまったので、お礼ということでハサンさんにあげた。ハサンさんは驚いたようだったが、「日本へ持って帰れないから」と説明すると受け取ってくれた。

最後まで優しいウズベク人たちに恵まれた。
ありがとうウズベキスタン!さらばウズベキスタン!

次回、「ウズベキスタン、再び?!」に続く・・・。
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ウズベキスタン、再び?!