10. 熱く語るミャンマー人
マンダレーヒルを降りる車の中で、ガイドのテッチョーさんは学生たちのことを語りだした。
彼の日本語教室では、テッチョーさんが推薦文を書いて積極的に日本への留学を後押ししているらしい。今の時代、この国の中だけで物事を考えるのではなく、世界に出ていろいろ経験してほしいということらしい。
テッチョーさんは40才代前半。貧しい国柄や、ちょうど学生時代に政治的な紛糾やデモなんかがあったりで大学も休止状態になったり、なかなかやりたいと思うこともできなかったようである。それでも法律を勉強し、弁護士の資格を取り、一時期は研修生として弁護士になるために働いていたという。
しかし、そのまっすぐな性格のせいか、無罪をかちとるために事実を巧妙に隠しながら弁護をすることにどうしても納得がいかず、大好きな日本語を使って仕事がしたいと弁護士の道はあきらめ、ガイドの仕事を始めたそうである。
その後、日本語教室を開設し、ガイドからは完全に転身したものの、時折ガイドをやってくれないかと旅行会社から依頼がくる。この旅行会社の社長には大変お世話になったからと、これまた日本語のペラペラな妹に日本語教室を任せ、ときどきこうやってガイドの仕事をしているという。
「生徒たちにはいつも言うんです。日本のような先進国に行っていろんなことを勉強しなさいって。この国の中だけではどうしようもない。大学を出てもろくな仕事がない。私たちの若いころには外国に出ていくことは難しかった」と語るテッチョーさん。実際、国内にはほとんど仕事がなく、あっても非常に薄給である。シンガポールに出て働いているミャンマー人も多数いるらしいが、法学部を出ているのにベビーシッターをやっている人も大勢いるという。それでもミャンマーで働くよりはよっぽど給料がいいらしい。テッチョーさんも日本語教室だけでは生活ができないため、DVDを売る小さな店の経営も家族でやりながらなんとか生計を立てているという。
そんなテッチョーさんの案内で、今度は仏像を造っている工房が並ぶエリアへと連れて行ってもらった。
車を降りると、道の両脇にひたすらつくりかけの仏像が並んでいる。道の砂埃と大理石を削ったときに出る白い粉塵で、あたりは霞がかかったように曇っている。そのうちの1つの工房まで連れて行ってくれたテッチョーさんは、そこで仏像を造るほぼ最後の工程として、やすりがけ作業を見せてくれた。
この近くの山で大理石がとれるため、このあたり一帯が仏像工房になっているという。そこから大理石を掘りだし、運んできて、客の注文通りに仏像を彫っていくのである。このやすりがけも大変な作業だが、道路の反対側に目をやると、男の人が座って仏像をトッテンカッテンと彫っているのが見えた。「あれは間近で見てもいいの?」と聞くと、「行きましょう」とテッチョーさんは連れて行ってくれた。
造りかけとはいえ、間近で見るとすばらしい。こんなものどうやって彫っていくのだろうか?なんとなく目安の線が描いてある大理石もあるが、ほとんど感覚で彫っていくようである。経験が必要だ。
彫っている人に少し話を聞いてみたいと思い、テッチョーさんに通訳してもらった。
「どういうことを考えながら彫っているんですか? とにかく素晴らしいものを作ってやろうとか、あーイヤだ、しんどいとか?」
「…しんどいと思うことも確かにある。特に大理石はね…」
といって、仏師は遠くを指差した。そこには腕の部分が割れた、造りかけの仏像が転がっていた。
「木で作って組み立てるようなのはいい。失敗してもパーツを作り直せばいいから。でも大理石は失敗して割ってしまうとそれで終わり。いちから作り直しだ」
あらら、そら大変だ。
「特に最近は大理石の質も悪くなってきてるし、割れやすい。もう15年以上やってるけど、最近は電気が通るようになって電動の道具も使うようになってきた。だからお客さんがみんな、すぐ造れるだろう、もっと早く造ってくれ! って言ってくる。でも実際はたまにしか電気は来ないし、地道にノミと鎚で彫っていくしかない」
停電が多いからねぇ…。
「このノミを見てみろ。昔はこの3倍の長さがあった。今はこんなに短くなってしまった。道具はどんどん短くなるけど、俺は今も昔もそのままだ。ここに座って、ただ仏像を彫ってるだけだ。他に何もない…」
ん〜、哲学的ではあるが、どうやら悲しい身の上話になってきた。でも造ったものは残る、あなたの造った仏像を見て喜んでいる人はいるのだ、などと言おうとしたのだが、彼の憂いをたたえた顔を見た瞬間、なんだか薄っぺらい励ましのような気がしてしまい、口をつぐんでしまった。
「どうもありがとう。お邪魔しました」とだけ述べて、工房を離れていった。
なかなかできない経験だった。一介の旅行者にも手を止めて話してくれた。このミャンマーの旅ではずっとガイドさんがついてくれるのだが、お客さんは常に我々二人だけ。ガチガチに時間が決まったプランをひたすらこなしていくのでもなく、かなり柔軟にこちらの気まぐれに対応してくれる。ツアーと個人旅行のいいとこをうまくミックスしたような旅である。
この仏師の話を聞いただけでも、この国の人々のつらさ、まじめさ、そしてやさしさを存分に感じることができた。
次回、「金箔で太る仏像」に続く…。


