12. イラワジのほとりで


イラワジ川…。
その昔、歴史だか地理の勉強で聞いたことがある。ような気がする。
川はその周辺の人々にとって大きな恵みをもたらすと同時に、災難をももたらすものとなる。
この地域の人々も、川で採れる魚や川岸に広がる自然から採れる食物で生命をつないできたが、それと同時にサイクロンなどによって引き起こされる洪水により、何度も被害を被ってきたのである。

しかしこの日、私たちがここで見たものは川の上で生活する人々である。
川岸に止めた船の上で生活している、いわゆる水上生活者だ。
川岸にはゴミもたまり、油のにおいが漂っているが、遠くを見渡せば川や山の美しさと夕日に目を奪われる。
濁った川の水で洗濯をしている人がいる。その横には体を洗っている子供がいる。
こちらと目が合うと、恥ずかしそうにして船の奥へと入っていった。

するとテッチョーさん、知り合いなのか初めて声をかけたのかは知らないが、1つの船へと近づいていき、数人の青年と何やら話し終わると、「どうぞ」と甲板へと案内してくれた。
船の上で夕日を見ましょう、という。え、いいんですか?
青年たちがなぜかイスを出してくれ、どこかへと去って行った。

ここで見た夕日は忘れられない美しさだった。
撮った写真はそのままポストカードとして売れそうなほどきれいだ。

ボーっと見とれていると、日本語教室の生徒たちが今日は非常に喜んでいたこと、そしていろいろと話をしてくれてありがとうございましたと、テッチョーさんから感謝の言葉をもらってしまった。
いえいえそんな。こちらこそ意外な展開で楽しかったですよ。

するとテッチョーさん、普段から気になっていたのか、日本語の発音について私たちに尋ねてきた。ときどき正しい発音が分からない言葉があるというのである。

日本人で日本語が話せるからと言って、日本語やその発音についての質問に的確に答えられるとは限らない。
しかし、実は私はその昔、日本語教育能力検定試験というのに合格している。これは日本語教師としての能力を客観的に測る資格試験のようなもので、別に合格していなくても日本語教師にはなれるのだが、日本語教師業界での1つの大きな基準となっている。わざわざ勉強して合格までしたのだが、結局プロとして教えることはなかった。

そんな話をすると、テッチョーさんは驚いたようで、「そんな試験があることは知りませんでした。私でも受けられますか?」と聞いてきた。この試験は日本語ネイティブ向けなので、外国人の日本語教師向けではない。
「そうですか。私は自分で考えて日本語を教えているので、ときどきこれでいいのかと思うことがあります。いつか日本に行って、教え方を学んでみたいんです」というテッチョーさん。特にヒアリングを教えることが難しいという。
しかも、この国ではなかなか日本語のいいテキストが手に入らない。たまに友達になった日本人に送ってもらうのだが…、というテッチョーさんに、「じゃあ何かヒアリングの上達に役立ちそうな教材を送ってあげるよ!」と約束した。

その後、テッチョーさんに夕食に連れて行ってもらい、夜は自分たちだけでダンスを見に行くことになった。ミャンマーの民族舞踊である。

次回、「ミャンマー舞踊」に続く…。
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