7. ガイド兼日本語教師


次の日、これまた早朝に起きて空港へと向かった。
いよいよ金環日食が見られるマンダレーへと移動するのである。

またもや自由席のプロペラ機に乗り、ミャンマーの古都、マンダレーに着いた。
ミャンマー(ビルマ)は第二次世界大戦の終わりごろ、イギリスからの独立を勝ち取ろうと戦ったのだが、その激戦がここマンダレーでも繰り広げられた。
聞くところによると、ここにある王宮を守るため、日本兵もビルマ軍と一緒に戦ったそうである。

案内してくれるのは、40代のミャンマー人ガイド、テッチョーさん。
空港で、私達の名前の書かれたプレートを持っているテッチョーさんが遠くから見えたのだが、このテッチョーさん、何やら中東系の顔をした観光客っぽい女性と話をしている。
あれ、なんか手違いでもあったのかなと思って近づいてみると、2人とも日本語で会話していた。

「あの〜」と声をかけると、その女の人、「あ、すみません。(テッチョーさんに)ありがとう」などと言い残して去っていった。
何があったのかテッチョーさんに聞いてみると、彼女はトルコ人の観光客で、マンダレーについてちょっと聞きたいことがあったのだという。ところが誰に聞いていいか分からず、トルコで日本語ガイドをやっている彼女は日本人の名前が書かれたプレートを持っているテッチョーさんを見つけ、日本語で話しかけてみたということらしい。
トルコ人とミャンマー人の共通語がたまたま日本語だったわけである。

全部が全部というわけではないが、ミャンマーを旅行しているヨーロッパ人やアメリカ人たちは、概して非常にミャンマーの文化を尊敬しているようで、それと同時になぜか日本語を話せる人がとても多い。
ここに来る西洋人は、タイのリゾートなんかで傍若無人にふるまう観光客たちとは一線を画しているのである。
この女の人はトルコ人だったが、ものすごく流暢な日本語を話していた。

さて、そのテッチョーさんの案内で、さまざまな遺跡を見に行くことになった。
ここには王国時代の貴重な遺産がたくさんある。
車に乗るとテッチョーさんが開口一番、「日食は何時に始まりますか?」と聞いてきた。
「え?」
「ミャンマーでは情報が限られていて、はっきりと分からないのです」
「あらら、そうですか。えーっと、はっきりとは確かめてこなかったんですけど、たしか1時頃から欠け始めるような・・・」
「そうですか。じゃあその頃にはマンダレーヒルに行きましょう」
というわけで、少々限られた時間だが、町を見て回ることにした。

実はこのテッチョーさん、普段は日本語教室を経営しており、そこで日本語を教えている先生だという。この教室を始める前にツアーガイドを数年やっていて、今でもたまに仕事を依頼されるのだという。
「教室の生徒もマンダレーヒルに来るよう呼びました。彼らは日食のことをよく知らないのです。あとで会えます」
と嬉しそうに話すテッチョーさん。

ここマンダレーにはミャンマーでも名門のマンダレー外国語大学があり、教室の生徒さんは主にそこの日本語専攻の学生さんだという。
個人的には「おもしろそう」と思ったのだが、日本に帰ってこの話をするとみんな口をそろえて「それって公私混同じゃないか!」と怒り出す。
ん〜、そうか。まぁ、日本人ならそう思うかな・・・。
こういうことがあるから面白いのに・・・、などと思う我々であった。

ミャンマーは仏教国である。ほとんどの国民は、日本とは比べものにならないほどの敬虔な仏教徒である。ここマンダレーにも大きな僧院があり、今日はそこで、ある篤志家がお坊さんたちに食事をふるまうらしい。
まずはその様子を見に行くことになり、しかしそれまでにはまだ時間があるので、僧院近くの川べりへと出かけた。

木でできた質素な橋が延々と続いているだけで、何かエキサイティングなことを期待している人には全くつまらない場所だが、川で魚釣りをやっている人がいたり、橋の上を自転車で荷物を積んで歩いていく人、みやげ物を売っている人などとちょいちょい話しをしながらの散歩はなかなか楽しい。

しかもこの橋の先にはマンダレー大学があり、この橋をたくさんの学生が渡っていくのである。こちらが日本人だと分かると、知ってるだけの単語を並べて日本語で話しかけてくる学生もいる。

するとテッチョーさん、何やら周りにいる大学生たちに声をかけ、「一緒に写真を撮りましょう」てなことになった。
テッチョーさんがカメラを構えると、一体どこから現れたのか、話し声や笑い声をあげながら大量の大学生たちが群がってきた! 気がつくと、カメラに収まりきらないほどの大群になってしまい、橋を完全に占拠して誰も通れなくなってしまった。髪を整えだす女子学生、場所を取り合う男子学生。入ろうかどうしょうか迷っている通りががりの人まで「どうぞどうぞ!」と入れてしまうテッチョーさん。
なぜか橋の上での一大イベントとなってしまった。

写真を撮り終わると、テッチョーさんが学生たちに日食のことを説明し始めた。大学生といえどもその原理をよく分かっていないようで、しかもそれが今日あることも知らない。きわめつけは、「なんでそんなものをわざわざ日本から見に来るの?」という質問・・・。
いや、これだけを見に来たわけじゃないんだけどね、でも金環日食なんてあまり見られないからけっこう貴重なんでございますよ、と説明してみたがあまり反応がない。

彼らが一番色めきたったのは、日本から持ってきた日食用サングラスを見せた時である。
こうやって見るんだよと教えると、最初はシャイで手に取ろうとしなかった彼らだったが、一旦こっちがムリヤリ渡すとみんなで代わる代わる回し見を始め、太陽を見ては「おーっ!」と歓声を上げていた。

ミャンマーでは大学生といっても非常に純粋な感じがして、とても幼く見える。
スレていないというのか、希望にあふれているというのか、とてもいい印象を受けた。

そうこうしているうちに時間になったので、僧院へと出かけた。

次回、「僧院と西洋人と日本人」に続く・・・。
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