沖縄の気になる平和祈念資料館:広島・長崎の資料館との比較


太平洋戦争で特に大きな被害を受けた日本の地域を挙げるとすると、原爆を投下された広島・長崎と、日本で唯一の地上戦が行われた沖縄と言えるだろう。実は沖縄の人は、戦争で甚大な被害を受けた広島・長崎にも心を寄せる人が多い。この3県には戦争に関する有名な資料館があり、世界に平和を訴えていることも共通している。

自分は沖縄に住んでいるので、沖縄の戦争観については見たり聞いたりすることが多くなったが、広島・長崎に関しては訪れたことはあるものの深くは知らない。そんな自分ではあるが、平和に関するこの3県の資料館(ひめゆり平和祈念資料館、広島平和祈念資料館、長崎原爆資料館)は訪れたことはある。今回は、それらを訪れた際に自分が感じたことから少し思いを馳せてみることにしたい。知識の浅い一般人の感覚なので、ツッコミどころ満載かもしれないが、とにかく書いてみる。

(ちなみに、ここでは広島と長崎の資料館1つのようにして書いているが、この場合はほぼ広島の平和祈念資料館に関する印象を書いている。長崎の原爆資料館は広島の平和祈念資料館よりは観光客や修学旅行生などが少なく、落ち着いた雰囲気であり、全体的に沖縄と広島の中間ぐらいの印象のため、違いを明確にするために主に広島の平和祈念資料館と沖縄のひめゆり平和祈念資料館について書いている。)

広島の資料館(そして長崎の資料館)の中心は、やはり「原爆」である。とにかく原爆投下に向けての過程や、原爆の非人道性とその悲惨な影響である。原爆は人間に大きな後遺症ももたらすため、被爆をした方々の多くは差別を恐れてそれを表立って語れなかったという悲劇もある。

しかし現在、そこから歩みを力強く進めてきた人々のおかげで、最終的にその目は未来を見つめている。今後二度と核爆弾が使用されないよう、作られないよう、そして戦争が起こされないようにという強いメッセージが放たれている。広島も長崎も現在は発展した大都会であり、広島の原爆ドームを除いては、核爆弾で壊滅的になったという街の面影はない。もちろん、被爆した方々にとってはまだまだその辛さは続いているものではあるが、資料館の周りの雰囲気からも、壊滅的だったあの状況は完全に過去の歴史的事項のように感じる。

この未来志向のメッセージの副産物と言うべきかは分からないが、広島の平和祈念資料館を訪れる特に外国の人々は、とてもリラックスしているように感じた。もちろんある種のピリッとした自己統率感を持っている人もいるが、資料館のすぐそばにある平和祈念公園から原爆ドームを写真に収めたい、そしてSNSにアップしたい、というような観光気分を持っている人が多くいたように感じた。「原爆」というものの希少価値を、ある意味記念として自分に取り込んでいるような。。

また、特に広島の資料館の展示を見ている人は、知的理解として、原爆にまつわる歴史を頭で理解しようとしているように感じた。中高生もたくさんいたが、一生懸命にノートを取ったり、先生から与えられた課題のプリントに一生懸命記入したりしていた。もちろん平和教育の一環として訪れているわけで、一生懸命に理解することはとても大事だが、その時代の空気に入り込むことは少し薄いように感じた(これはどこの資料館でもそうなりがちかもしれないが)。

広島には軍港があり、一時は司令部も置かれたため、言わば日本政府側であり、恨みの矛先が日本政府に向くことはなかったようだ(今の核軍縮に対する消極的な日本政府の態度には納得いかないとは思うが)。また、差別を恐れて被爆体験を共有できなかったことから、人々の恨みつらみが一丸となってどこかに向かうということもなかったのではないかと推察される。

一方、沖縄は、原爆は落とされなかったが、日本で唯一となった激しい地上戦で甚大な被害を被った。そして、その怒りは一丸となって日本へと向いてしまった。なぜなら、沖縄には米軍基地が残り、そのため戦争はまだ終わっておらず、そのようになったのは日本政府のせいだからと考えているからである(以前は独立国であったという事実も、その方向に向かった原因の1つかもしれない)。

沖縄のひめゆり平和祈念資料館では、非常に緊張感が漂っているように感じる。その原因は、資料館内に当時のガマ(戦争時に使用された壕)が一部取り込まれるような形となっていること、そして未だに米軍基地がすぐそこに存在しているからではないかと思われる。また、あまりにも大きな「原爆」という中心がないためか、戦争で亡くなった方一人ひとりに、よりスポットがあたっているように感じる。

つまり、広島・長崎の平和祈念の中心は原爆に対してであり、未来志向、そして沖縄の平和祈念は戦争そのものに対してであり、一人一人の感情指向であり、現在進行形なのである。

どの資料館に行くにしても、頭で理解することも必要だが、当時の状況に入り込んでその悲惨さを感じることが大事なように思う。沖縄の場合、その状況が現在にもつながっていることが緊張感をもたらしており、またその状況が厳然として目に見えることが一番の辛さの根源なのかもしれない。
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