ロシア語(ウズベク語?)と日本語でコミュニケーション


次の日は朝5時に起床。
気温はマイナス1度。ウズベキスタン版の新幹線に乗ってサマルカンドへと向かう。

予約していたのはVIP席。乗ってみると、VIPは我々二人だけだった。広くてラグジュアリーな座席。そこに専任のスタッフが1人ついてくれて、朝食を運んでくれる。

2時間もの間、車窓を眺めているだけでは飽きるので、ヒマそうにしていた女性スタッフに話しかけ、簡単なウズベク語を教えてもらったりしながら時間を過ごした。

しかしこの電車、新幹線とはいうものの、とにかく揺れる揺れる。スタッフに聞いてみたところ、日本の支援が入ったのは別の路線で、この路線は日本の新幹線とは関係ないという。そりゃそうだ、日本ならこんなに揺れる電車は作らないだろう。

朝9時15分、サマルカンドについた。まとわりついてくるタクシー運転手と料金を交渉し、値切りに値切って乗ることになった。運転手は最後まで料金に納得していなかったようで、降りてからもずっと足りない足りないと言ってはいたが・・・。

降りてから5分ほど歩いたところにホテルがあった。そこまでの路地裏は今まで見たこともないような町並みだった。朝のピンと張り詰めた空気、人はほとんど歩いておらず閑散とはしているものの、平屋や二階建ての薄い土色をした住宅らしき建物が続く。車のデザインも何やら古めかしく、30年ほど昔にタイムスリップしたかのようである。

ホテルについた。見てみると、入口にはカギがかかっている。呼び鈴を鳴らしてみたが誰も出てこない。

どうしようか・・・、と困っていると、近くにいたおじさんが2人近づいてきて、「カリヤ? カリヤ?」と何やら聞いてくる。どうやら「Korea」、つまり韓国人か?と聞いているようである。「ヤポネ」と答えると、あーヤポネか、ヤポネはサッカーが強いな、この前ウズベキスタンと試合やってたな、などと話している(ようである)。おじさんたちはロシア語とウズベク語、こちらは日本語ときどき英語で会話しているのである。「ホテルに入れない」とジェスチャーすると、ドアをドンドン叩いて何やら叫んでくれたり、看板に書いてあった電話番号に携帯で電話をかけてくれたり、それでも反応がないので裏へ回って中をのぞいてくれたり、まったく初めて会った自分たちのためになんとかしようといろいろとやってくれる。

ウズベク人がまさかこんなに素朴で優しい人たちだとは思ってもいなかった。
「旧ソ連圏」というだけで、自分たちはとんでもない偏見を持っていたようである。
彼らは全く英語が話せない。もちろん日本語も話せない。しかし一生懸命コミュニケーションをとろうとしてくれる。そんな彼らを見て思った。あぁこの旅も問題ない、きっとうまくいくなぁ、と。

今はシーズンオフだから、おそらく誰も泊まっておらず、ホテルのスタッフもいないのだろう。時計を見るとまだ朝の10時。チェックイン時間は2時だから、それまでどこかで時間をつぶそうか。

おじさんたちに腕時計を見せて、「チェックイン、2時」と説明すると、何やら理解してくれたようで、「じゃあまたあとで来るんだな?」などと(多分)分かってくれたようである。

私たち二人はスーツケースをガラガラと引きながら、歩いて5分のところにある、このサマルカンドで一番の名所、レギスタン広場へと向かった。

次回、「レギスタン広場」に続く・・・。
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レギスタン広場