2. ケチャックダンスについて考える


また別の日、日本でもよく知られているケチャック・ダンスを見に行った。

それはそれで大変感動した。その昔、男たちはどういう思いで火を囲み、このダンスを捧げていたのか、そこに思いを馳せて見ていた。
その昔、と書いた。というのも現在行われているケチャックは1930年代にバリ島に来たドイツ人画家、ヴァルター・シュピースによってアレンジされたもので、観光用となっているからである。

もともとケチャックは、疫病が蔓延した時に祖先の霊を招き、加護を求めるものであった。火の回りを男たちが囲み、ケチャケチャと言いながらトランスする(人間の体に祖霊が憑依してしまう)のである。
ところが現在はそのダンスの途中、女性ダンサーが出てきてラーマーヤナの物語を演じるダンスが入っていて、これがスタンダードになっている。これはシュピースが人に見せるためにアレンジしたものである。

つまり、もともとこのダンスは誰か別の人間(観客)に見せるというものではなかったのである。それがいつしか「見せる」という要素が取り込まれ、ラーマーヤナのストーリーが組み込まれ、ヒンズーの神・ハヌマーンやガルーダなんかが登場してコミカルな動きで笑いをとったり、客席に入っていってコミュニケーションをとったりするようになったのである。

それはそれで見ていて楽しく、エンターテイメントとしても成立しているので、なかなか貪欲な仕上がりといえる。私がこのダンスを見たのは、インド洋を臨む丘に立つウルワツというヒンズー寺院で行なわれており、このロケーションも手伝ってか観光客で満員になっていた。

観光用、という言葉にどこまで敏感に反応するかは人によるが、できるならば数日間しかいない一介の旅行者でも、その土地の人々が昔から信仰するものに触れたい、私はそう思う。できればそれを乱すことなく、である。しかし何も乱さずその真髄に一介の旅行者が触れることはおそらくムリだろう。だからこそ、そのエッセンスを残しているものを見て、思いを馳せてみるしかないのである。

逆にもし、このダンスが観光用にアレンジされていなかったとしたらどうだっただろうか、と考えてみる。現在までケチャックは残ったのだろうか。あるいは残ったとしても、自分のような観光客に見ることが許されたのか。

そこは分からない。
そう思うと目の前で今、自分がこのダンスを見ているということは、奇跡に近いような気がするのである。
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