3. 聖悪について考える


バリ島には聖悪混在の思想がある。
聖なるものがあれば必ず対になる悪が存在する。
バロン(聖)がいればランダ(悪)がいる。

この思想を具現化しているのがバリ様式の寺院である。外から必ず3重の構造になっている。1つ門を入る、そこは悪魔のためにある。2つ目の門を入る、そこは人間のため。そして3つ目の門の中は、神様のためにある。

神だけを祀るのではなく、悪魔をも祀る。そういったものに通じるかのように、前々回触れたバロン・ダンスでは、人間と化け物たちがやりとりし最後には聖獣(バロン)が出てくる。

聖なるものだけで世の中が成り立っているのではない。悪だけで成り立つものでもない。聖があるから悪があり、悪がなくなれば聖もなくなる。

たまに、原始時代はユートピアで今のようにギスギスした社会ではなかったのだ、ということを言う人がいるが、私は全くそうは思わない。人間が存在する限り、必ずこの二律背反が存在するであろう。そこには願望があり、欲望があり、比較し、優劣を感じ、うらやみ、ねたみが生まれ・・・。これを全人類が克服することはないであろう。

そう考える必要もなく、バリの人は生まれながらしてこの考えに触れ、当然のことのように聖悪混在の考え方を身に着けているようである。
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