小さなロスト・アイデンティティ



私は京都生まれの京都育ち、ゆえに自分のアイデンティティは間違いなく「京都人」であり、そこに疑問など一切ない。思い出や記憶の大半は京都でつくられ、そして帰るべき実家も京都である。

しかし、・・・と最近、不思議な感覚を抱くようになった。

東京に来ていろんな地方から移り住んでいる人に会い、話をしているうちに、どうも自分の顔は京都人ぽくないと言われることが多いことに気づいた(京都人ぽい顔というのもよく分からないが、どうやら薄めの公家さん顔らしい。そんな顔が京都人に多いとも限らないが)。

それより気になるのは、「どっかの島の人?」などと言われることが多いことだ。こんなに色白なのに海人ってこともないだろうが、確かに沖縄を旅行していても、ウチナンチュ(沖縄人)に間違えられた事もある。いや、思い起こしてみると、海外旅行に行った時には必ず「香港人」か「韓国人」に間違えられる。(そういえば航空会社に電話した時も、英語の訛りでそう思われたのか知らないが、「香港に帰るんですね」と言われたことがある。見た目が問題じゃないのか?)

なぜこんなことになるのだろう。そういえば友達のスリランカ人によると、私はネパール人に見えるらしい。確かにインド旅行をしている時にそう言われた。これは一体どういうことだ?

そこで、とりあえず両親について考えてみた。母は山口県の人である。生粋の関西弁を話すわけでもなく、いわゆる京都の習慣や考え方になじみがあるわけでもない。当然、自分に受け継がれているものは山口人的なものも多いだろう。

そして父親。父はずっと京都で育ち、「小さい頃はよく東寺で遊んでいた」などの話をよく聞く京都人である。・・・と思ったらそうじゃなかった。昔父が言っていたことを思い出してみると、生まれは愛媛。小さい頃に京都に引っ越してきたとか。ということはその両親(自分から見れば祖父母)は四国の人間であり、父の血は100%四国人ということになる。

つまり、私は生粋の日本人に間違いは無いのだが、細かく言うと四国と山口のハーフになる。これでは京都人の公家顔に生まれるわけはないのである。ひょっとすると島の人に見えるのも、四国の血が強いのかもしれない。これでとりあえず京都人に見えない、そして島の人に見える、ということは解決しそうだ。

で、「香港人」または「韓国人」である。ここは発想を飛躍させるしかない。知り合いに高知県生まれの人がいるが、そのおじさんの顔は私のじいさんそっくりである。これは南方から入ってきた人種の血をひいているのかもしれない。とすると自分は、山口にしても四国にしても、大陸や南方の島から流れ着いた人々の子孫という事もありうる。

ここまで考えてハタと気がついた。どちらにしても、京都にアイデンティティを感じる自分に、京都人の血は全く入っていないのである。

これは自分にとってはかなりショックである。軽いロスト・アイデンティティある。ショックでちょと日本語おかしなったある。

・・・しかし、である。この単純な発想の展開によって導かれた答えによって、突然「あんたは南方の人種の血を引く四国人よ」と言われてもよく分からない。

結局アイデンティティをどこに感じるか、自分の血か、小さい頃過ごした地か、もしくは長く暮らした土地なのか、そんなことを悩む必要はないことに早くも気づいた。

アイデンティティは一番愛着のある土地でいいのである。
だから私は、京都人である。

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