キープ・アイデンティティ


関西人は方言(関西弁)をかなり大事にするようだ。
お笑い番組のおかげで関西弁が全国的に市民権を得たということもあるのだろうが、関西人は東京に住んでもいつまで経っても関西弁のままの人が多い。

これが例えば他の地方の人ならどうなのか。
みんな東京弁(関西人を代表してあえて「標準語」とは言わないが)になってしまうのである。そのように直す、あるいは自然になっていくらしい。
これは北海道の人もしかり、東北や北陸、九州や四国の人もしかりである。

地元の友達からメールが来てあまりにも方言のきつい文章で驚いた、なんて言っている佐賀県人を知っている。地元の方言を質問されても思い出せず、実家に帰っても言葉が戻らないという石川県人がいる。「〜がさぁ」「〜じゃん」を連発する岩手県人がいる。
みんな地元の方言に対して未練もなく、普通に東京弁に順応していく。

私は東京に来た頃、バイト先でひたすら関西弁を使っていたら上司に何回も何回も聞き返されたり、周りの東京人が持つ関西弁のイメージの狭さに驚かされ(漫才か、ナニワ金融道しかなかった)それに縛られたくないと思わされたこともあり、外ではなるべく東京弁、内輪では関西弁のバイリンガルとなっている。ゆえに、外部では口数が少なくなるという弊害が生まれている。

とにかく、街を歩いていても仕事をしていても、聞こえてくるのは東京弁か、関西弁である。東北弁や博多弁が聞こえてくることはない。

この関西人の地元語に対する愛着・不変性は一体なんだろうか? そしてたまにだが、こてこての関西人キャラでいけば東京人に受けると思い込み、どこにいても関西ワールドで生きていこうとする者もいる。その延長で見苦しいのが、山手線で六甲おろしを歌う阪神ファンである。やめてくれ、ここは阪神電車ではないぞよ。

しかしこれほどまでに地元への愛着を表現できるのは凄いことだ。タイガースが優勝した時、道頓堀だけでなく、中洲やセーヌ川に飛び込む連中もいた。関西人だろう。この関西人としてのキャラクターの発露。これこそ誰も止めることのできない、関西人の血、性(さが)なのかもしれない。
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