30半ばにして・・・


小学生の頃、虫歯が一本もない子に憧れた。

というのも、私の通った小学校はなぜかとっても歯磨きの指導に熱心で、歯磨き順の絵が各教室に貼ってあったり、朝礼の時に先生が歯の大きな模型を持って来ていちいち磨き方を説明してくれたのである。

その最たる例が虫歯数表である。クラスの誰がいくつ虫歯を持っているか、それがでっかい一覧表になって貼り出されるのである。今の小学校なら問題になるのだろうが、我々の時はそれを当然のように受け止め、クラスに2、3人はいる虫歯ゼロの生徒がムダに賞賛されていた。

虫歯というのはつまり、虫歯になって治療して、そこに金属をはめこまれたいわゆる銀歯のことである。私は低学年の時にすでに銀歯が一本あり、残念ながらムダに賞賛を浴びることはなかった。甘いものを食べ過ぎたのだ、そして歯を磨かなかったのだよ君は!!という叱責を受けているように思えた。

その時以来、朝晩欠かさず歯磨きは続けている。学校で行われた虫歯検診などでも、「よ〜く磨けてますね〜いいですよ〜」と言われ続けた。虫歯について考えることはなくなっていた。

ところが最近、この銀歯が欠けてしまったのである。中の神経が露出しているのか、ご飯を食べたり水を飲んだりすると痛い。仕方ない、久々に歯医者に行くか…。二十歳の時に親知らずを抜いて以来、久しぶりの歯医者となったのである。

自宅近くのきれいそうな歯医者に入った。診察台に案内され、よだれかけのようなものをつけられた。「ええ、あの〜、銀歯が欠けたみたいなんですよー、ええ」などと言って見てもらうと歯科衛生士らしき女の先生が、「ここですか? これですか? これが欠けてるんですか?」と何度も何度も聞いてくる。一本しかないのに何を迷っているのだろう。半開きの口で「へぇ、それれす、へぇ」と答えていると、衛生士は首をかしげながらどこかへ行ってしまった。

「ちょっと、どこ行くっすか!?」と思っていると、医院長らしき男の先生がやってきた。「ちょっと見てみますね〜」と、そのでっかい図体からは想像も出来ないほどソフトな語り口で検査が始まった。

どうやら銀歯は欠けてはいないらしい。でも痛いのである。仕方ないのでレントゲンをとってもらうと、なんと金属の下の部分がまた虫歯になっていたのである!! 治療しないといけない!!!

歯茎に麻酔を打ち、金属を取り外され、その歯をゴリゴリと掘られ、また新たにはめる金属を作るため、穴の型をとられた。
25年以上もの時を経て、同じ歯がまた虫歯になったのである。

そして翌週、金属ができあがったのではめてもらいに行った。面倒な歯医者もこれで終わり、たったの2回で済んだのはこれ幸いだったよ、とまた口をアングリ開けていると、先生が大きな声で独り言をしゃべっている。
「あれ〜? これは、・・・あんれ〜?」。
不吉なことでも起こっているのかとドキドキしていると、先生に手鏡を渡された。
「ちょっと見てください」 「は、はい?」 「…奥の歯ですよ…」
よく見てみると、銀歯をはめるさらに一本奥の歯に何やら茶色いものが見えている。
「…これ、虫歯です…。」
えぇ?! もう一本虫歯?! となりの歯もやられていたのね!!

・・・というわけで、銀歯の奥のもう一本、これも同じようにゴリゴリと掘られ、穴の型をとられ、これまた翌週に金属をはめてもらったのである。

かくして30代半ばにして虫歯が2本になってしまった。

虫歯ゼロに憧れたあの頃、それでも一本というのは誇りであった。
そのわずかな誇りも消え失せてしまった、寂しい夏の夜の出来事であった・・・。
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