さらにド田舎


次の日、ネパール人青年の誘いで彼の実家に行ってみることにした。

彼は弟とポカラで二人暮し。
弟は警察官になるため、学校に通っているという。
そんな彼の実家は、ポカラからバスで4、50分ほど行ったところにある田舎町だという。
ポカラでも充分田舎なのだが、バスに乗っているとさらにド田舎に突入。
時々小さな家が見える以外は、ひたすら山と段々畑。
自然の風景は日本とそっくりである。

バスを降り、ついでに通りかかったトラックの荷台に乗せてもらい、彼の実家へと着いた。
小さな家だが、綺麗な造りの2階建て。
ご両親は、仕事か何かで出かけているようで留守だった。
すると病弱な彼は、そこでいきなり「休憩させてほしい」とベッドに横たわって寝てしまったのである。

ありゃりゃ、せっかく来たのに。
じっとしてても仕方がない、一人でうろうろ散歩に出てみることにした。

今回、旅のテーマの1つは、「人の中へ」。
旅行に行くと、大体写真に撮るものと言えば景色か建物。
それでは味気ない。
だから今回はなるべく人と交わってみよう、そんな思いもあった。

歩き出すとすぐに、小さな家が見えた。
その庭先に、女性が2人に男性が1人、その他に小さな子供が何人かいて楽しそうに話している。
通りすがりに、「ハロー」と声をかけると、「どこから来たの? 日本人?」と英語で聞かれた。

その女性は、色鮮やかな民族衣装(サリー)を着ている。
ちなみにこちらの女性は、オフィスで働こうが畑仕事をしていようが、インドでもネパールでもほとんどみんなサリー、もしくはパンジャビドレスという色鮮やかな民族衣装を着ている。
工事現場でツルハシを持って働く、サリー姿の女性もいたりする。
いわゆる洋服を着ているのは、大都会の一部の女性だけのようである。

男性に関しては、暑い地方ではほとんどがクルタ(薄手の服。パジャマと言ったりもする。いわゆる寝る時に着るパジャマの語源はここからだと言われる)だが、寒い地域では洋服の人が多かった気がする。

「そこに住んでる彼と一緒に来たんだけど」と言うと、どうやらその女性、青年とは幼なじみのようで、「あぁ、彼ね」と納得の様子であった。

聞くと彼女はその子供たちの母親で22才、旦那はドイツに出張中だとか。
あとは近所の女の人に、その弟さん。

「一緒に写真うつってもらえます?」と頼むと、逆に「子供を写してよ、子供を!」、「もう一枚撮ってよ、もう一枚!」「それ送ってよ、全部送ってよ!」と矢継ぎ早に頼まれた。
「あの〜、自分と一緒に写ってほしいんですけど・・・」と言うと、「いいよそんなの!」「恥ずかしいからやめてよ!」と、女性陣はテレる。

ところが弟さんに半ばむりやりカメラを手渡し、撮ってくれと言うと、女性二人してきちんと整列する。
なんや、やっぱり写りたいんやん・・・。

しかし、こんなド田舎の人でも英語が喋れ、ドイツに出張するような旦那がいるということに、失礼ながら驚いてしまった。
実は後で青年に聞いて分かるのだが、ほとんどのネパール人は海外へ簡単に渡航できないらしい。
渡航先国に保証人がいれば行けるらしい。

青年に何度も、「日本に行きたい。誰か保証人になってくれそうな人はいないか?」と聞かれていたが、そんな人はいないし、ましてやこんな自分がなるわけにもいかないし・・・。

ところが話を聞いていると、簡単にパスポートを取れて自由に海外に渡航できる人たちがいるという。
「どういう人ら?」と聞くと、「民族によって違うんだ」と言う。
民族、もしくはカースト(身分)によって行ける者と行けない者がいる、ということだろう。

一度彼に、「夢は何?」と聞いたことがあった。
すると彼は、「インターカースト・マリッジ」、
つまり違うカーストの人と結婚することだ、と答えていた。
普通は同じカースト階位の者と結婚する。
そして、そのカーストによってだいたい仕事も決まっているのである。

日本人がインドやネパールで「お前の仕事は何だ?」と聞かれ、「クリーニング屋だ」と正直に答えたら、急にインド人たちの態度がエラそうになった、という話を聞いたことがある。
ここでは人の衣服を洗うというのは、カーストの低い人間がやる仕事で、「なんだ、お前低カーストか」と思われたということである。
だからそういう時は、「学生」もしくは「先生だ」などと答えるとかなり対応が良くなるらしい。
それだけインドやネパールでは、カースト制が根強く残っている。
(「根強く残っている」などと書くと、悪くて直さなければならないものがしつこく残っているというイメージを与えるが、向こうではカーストが生活そのもので、切り離せるものではないし、カーストによって仕事が決まっているということは、逆にどのカーストにいてもある程度仕事が保障されている、と言えなくもない。)

あそこで出会った女性たちは、高カーストだったのかもしれない。

さて、その家族(?)を離れ、さらに奥へ奥へと歩いていると、じいさんやばあさん、おじさんやおばさんなど、なぜか中高年の人たちが集まって話しているところに出くわした。
全員インド服、男1人だけ洋服である。
どうやら英語を話せるのは彼だけらしい。先生をやっているという。

すると、やたら目の鋭いじいさんが遥か彼方から叫んでいる。
遠くから見てもその眼光の鋭いこと。
先生に聞くと、「チャイを飲むか〜?と聞いている」らしい。
はい、と答えると入れたてアツアツのチャイ(ミルクティー)を持ってきてくれた。
こっちをジロ〜っと見て去っていったその眼光は、やっぱり果てしなく鋭かった。

すると先生、「お前の宗教は何だ?」と聞いてくる。
「仏教・・・、かな」と答えると、「釈迦が生まれたのはネパールだ。知ってるか?」ときた。
「知ってる。ルンピニーでしょ」と答えると、「そうか、日本人も知ってるんだな」と嬉しそうに笑っていた。

「一緒に写真いいっすか?」と言うと、その先生、「どうぞどうぞ」と1人でポーズをとる。
「いやあの、全員で」と言うと、「あ、そう・・・」と、ちょっぴり哀しそうであった。

全員でパチリ。

ひとしきり話し、じゃあまたとその場を離れようとすると、さっきの眼光鋭いじいさんが、また遠くから何やら叫んでいる。
何かと思えば、「チャイの代金を払え〜!」と怒鳴っているらしい。
あれ売り物やったんかい。

ちょっぴり騙された気もしたが、払ってその場を離れた。

・・・しかし、なんであんなに年配の人が集まってたんやろう?
結局最後まで分からなかったが、・・・特に意味はないと思われる・・・。

ネパール人青年の家に戻ると、ねぼけまなこで彼が出てきた。
その後、彼が卒業したという小学校に行ってみたり、丘へ登って景色を堪能したり、有意義な時間を過ごした。
またバスでポカラに戻り、いつも夕方になると仲間が集まるという場所へ連れてってもらった。
そこに彼の友達が5、6人。
仕事を終えて来る者、学校帰りの者、彼のように大学は卒業したが就職口がない者・・・。

みんなバカな話で大笑いし、夜になって帰っていった。
みんなそれなりに幸せそうに見えた・・・。

次回、ポカラ編Part.3に続く・・・。
プリンタ出力用画面
友達に伝える

前のページ
日本人神父とネパール人青年
コンテンツのトップ 次のページ
裏切りのガイド料