裏切りのガイド料


次の日、朝っぱらからKSと二人でサランコットの丘に向かった。
頂上からはポカラの町が一望でき、眼前には世界の屋根、マチャプチャレやダウラギリの山々が迫ってくるという。

抜けるような青空の下、早速二人で登り始めた。
息を切らして登っていると子供が近づいてきて、「オレが案内してやるよ!」と言い放ち、スタスタと先に登っていく。
「案内せんでも分かるっちゅうねん」などと思いながら30分ほど登っていると、着きました、丘の頂上!
見てしまいました、ヒマラヤ山脈!
見事な晴天にも恵まれ、すんばらしい眺めである。

この辺りに住んでいる人は、毎日この「世界の屋根」を見ることが出来るのか・・・、そんな感慨にふけるのも束の間、スタスタ歩いていた子供が、「はい」と手を出した。
「何やねん?」と聞くと、「ガイド料ちょうだい」と言う。
なんじゃそりゃ! ただ勝手に歩いとっただけやないけ!
悪どい大人には弱いが、子供にはめっぽう強いKSが説教を垂れ、結局払わなかった。
最初にちゃんと断らなかったこっちも悪かったかもしれないのだが・・・。

しばらくその絶景を堪能した後、丘を降りていく。
途中、小さなレストランがあった。
そのオープンエア(?)な所で朝食を取ることにした。

客は我々二人だけ。
そうこうするうちにこのレストランの家族が全員出てきて、自分たちを、久しぶりに実家に帰ってきた息子たちのように歓迎してくれる。
後に続いて子供たちも出てきた。
料理を持ってきてくれたのが長女のマヤ、続いて弟に妹までも。
1人、お父さんかと思ったらお兄さんだった。
みんな和気あいあいと話してくれる。

するとお兄さんがマヤを指して、「どうだ、オレの妹。かわいいだろ?」と聞いてくる。17歳だと言う。
けっこう美人だったので、「ええ、かわいっすねぇ」と答えると、「料理もできるし、優しい子だ。いいだろ。」と言う。

「ほぉ〜、いいっすねぇ」
「気に入ったか?」
「ええ、まぁ」
「分かった。・・・じゃあ日本へ持って帰れ!」
「・・・え?」

結婚して日本へ連れてけと言うのである。
ちょ、ちょっと待ちなさい、あんた本気じゃないでしょうねぇ?

するとマヤが何やらお兄さんに話している。
するとお兄さん、「マヤもお前がいいと言っている。」

「・・・は?」

いきなりの逆プロポーズである。

でぇ〜?!

意表をついた展開に、男一匹うへだゆふじ、不様にも狼狽してしまった。
そんな自分の口から出た次の言葉は、やはり混乱していた。

「・・・ス、スタディ ジャパニーズ!!」

日本語を勉強しろ! などと・・・。
意味不明だ。むしろ不快である。
ムリヤリ取りつくろって、
「ま、まずそちらは日本語を勉強して、で、こっちはネパール語でも勉強しますか・・。結婚はそれからでも・・。はは・・。」
などとかわしてみた。かろうじて。

そう言った途端、自分がKSと喋る日本語を、マヤがまねするようになった。
耳がいいのか、そっくりそのまま繰り返して言うのである。

「昨日の夜中、腹痛くてなぁ」「キノーノヨナカ、ハライタクテナー」
「もうねぇ、下痢でピーピーやったわ」「ピーピーヤッタワー」
「トイレで音がすごくてなぁ」「オトガスゴクテナー」
「となりに丸聞こえちゃうか思て」「マルギコエチャウカオモテ」

・・・すごい内容を17歳に喋らせてしまった。
もうすでに日本語勉強中のマヤであった。

なんとか兄妹をなだめ、そんな彼らに後ろ髪をひかれながら、丘を降りていった・・。
ちょっと残念? お互いに?

その後、またKSとは別行動。
自分は1人で、また例のネパール人青年の家に行き、彼と二人でチベット難民キャンプを訪れることにした。

キャンプには、中国のチベット弾圧から逃れてきた人々が住んでいて、そこで雑貨や衣類なんかを販売していたりする。
このチベット問題のため、インドと中国は仲が悪いらしい。
なので、インドで中国人に間違えられると危ないという。
自分も何回か、「お前、チノ(中国人)か?」と聞かれたことがあったが、その度に「No! ジャパニー!!」と即答していた。

ちなみにKSは常に日本人だと思われていたのだが、なぜかうへだゆふじは、「韓国人か?」「ネパール人か?」、あげくには、タイでタイ語で道を聞かれたり。
そんなに間違うような風貌ではないと思うのだが、電話でも英語で航空券のリコンファメーションをした時、「帰るんですね、香港。」と言われたことがある。

なんでやねん。

問題は風貌ではないのかもしれない。(じゃあなんやねん)。

チベット人は見た目も日本人に近い。親近感を覚える。
そこで、丈夫そうで色鮮やかなバッグをみやげに買った。
チベット人が編んだものである。
ついいつものクセで値切ろうとしてしまったのだが、一緒にいたネパール人青年に、「君はチベット人からも値切るのか?」と言われ、いかんいかん、難民から値切るとは! と思い直し、言い値で買った。
大変失礼致しました。

その後、夜になって「もう帰らなくては」とネパール人青年と別れた。
彼は最後まで、「俺が日本に行けるように保証人を見つけてくれ」と言い続けていた。
住所だけは交換したが、必ず見つけるという約束はしなかった・・・。

ホテルへ戻ると、KSが何やら浮かない表情で部屋にいた。
どうしたのかと聞くと、「ん〜、まぁ、ええか・・」と言う。
なんでも、KSが友達になったと思って毎日会っていたネパール人男性から、最後に「ガイド料」なるものを請求されたという。

世話になったし、大した額ではなかったので払ったらしいのだが、やはり裏切られたような気がするのだろう。

「ん〜、・・・まぁええけどな・・・」。

全然良くないようである。
そういい残してベッドにもぐりこむKSであった・・・。

次回はバスで、ネパールの首都・カトマンズに移動します!

お楽しみに!
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